東京生まれ、
小中高と男子高に通う。サッカーはかなりしっかりとやった。でも全国大会にはでれなかった。
大学は、機械工学科に現役合格、本人は落ちたと思い発表を見に行かず、何日か後見に行くが、発表の掲示板はなく、守衛さんに見てもらった。合格していた。ヨカッタ!
大学では、ひたすら勉強はしなかった。必修科目を4年生で受講したやつはあまりいなかった。成績は、多分オールCかDだと思う。
大学のときは、ひたすら自分で稼ぎたいと思っていた。
アルバイトは、家庭教師とアンケート調査 は長くやった。今思うと、アンケート調査で戸別訪問して、人と話をすることは良い勉強になった。やな奴といい人は半分づついた。
卒論は、面白かった。模型実験で自動車の事故解析をした。実際は裁判中の 東名高速でのトラックと乗用車の事故で、トラックが中央分離帯を乗り越えて、乗用車と正面衝突した。トラックの運転手は助かり過失があるかどうかを争っていた。卒論の結論は居眠り運転だったと思う。業務上過失致死になる。
就職は、面接だけで、すぐに出来た。そこで電気空調冷凍の設計施工を勉強した。
入ってすぐに千葉のスーパーの電気工事に立ち会い、営業中メインの電源を落とし、3時間ほど停電させた。レジのお姉さんは、電卓で仕事をしていた。
君は1000万の損害賠償を起こしたんだと社長に怒られた。
その後しばらくして名古屋に一人で行かされ営業をした。2年間で800万しか売上は上がらなかった。名古屋は、新参者には厳しいところだ。その時はパチンコのオールセブンがおおはやり、月末お金がなっかった事も懐かしい。パチンコ屋にはだいぶ貢いだ。
大阪にも5年ほどいた。よく朝まで図面をかき、そのまま現場に行った。仕事はよくやっていたと思う。今でも思い出すのは、Dスーパーの全面改装を何店舗かしたが、神戸に近い本山の店は強烈だ。近隣調整が怖かったこと、オープン日に試運転中機械室を燃やしたこと、オープン後、ダメ工事で強烈に攻められたこと(これまでの人生でもここまで追いつめられた事はない)。あの店長は今何をしているのか・・・良い経験だ。
東京に戻り、大阪で転職した会社の東京店で照明の仕事を本格的にした。今もテレビで宣伝をしているエステとサラ金の新築工事で東京より東はかなり行った。一番おかしかったのは、東北のある町に、行ったとき現地の職人さんの言葉が全くわからす、こちらからの一方通行でよく現場が終わったと今でも思い出す。日本は広い。
独立をした、仕事は、照明の設計と工事をした。これからは、明かりのスペシャリストとして、良い提案をしていきたい。日本の明かり文化を自分で作るなどとは言わないが、少なくともその一員として仕事をしていきたい。もうすでに43才だ。